薙鎌と諏訪信仰 大宮諏訪神社編 国境の戸土、中股の神社の神木に御柱の前年大社宮司が来て七年毎に交互打ちこむ。 |
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一薙鎌打ち神事の意味 一国境見の神事(直接的) 国境の確認 二頭役銭の締めくくり(返礼) 三 諸難薙祓い無病息災国土平安(間接的) 御柱祭の差定 「諏訪南宮明年頭役事 小谷郷 地頭 右件大御神事者天下太平国土豊穣惣百姓中息災延命御祈祷也任先例頭役如件 二、歴代宮司と薙鎌 復活の様子 信濃史学会長栗岩英治氏が、国境辺の史料調査に来て、その神木に鎌 の背の部分を見つけたのが契機。第一回目執行。昭和18年 戸土境の宮 諏訪大社からは宮司志賀正光さん、祢宜守矢真幸さん、県庁からは奥谷祭務官の三人が参向され 奉告祭が行われた。今度、令和3年で14回目 歴代宮司と薙鎌図
薙鎌の形
三、資料に残る薙鎌打ち神事 いつ頃から @元禄十四年以前から。 A587年〜645年ころ下社大祝となった金刺乙叡以降で、806年信濃の国の大祭 、式年造営始った頃か 考察ー下社は祝は国司金刺と同族で朝廷と繋がり国境確認の役割を担ったと思われる。 (参考) 建五百健命ー神武天皇の子孫の神八井耳命の子孫ーこれより三代(健稲背命ー健みか富命、)続いて信濃の国造となる。以後六代目金弓君舎人として朝廷に仕え 金刺姓を賜る。子孫諏訪郡領を経て、金刺乙叡下社大祝となる。金刺氏は壬申の乱の折、天武側につき挙兵、騎馬隊をもって対応、戦功上げ 信任厚くそれを背景に 下社金刺祭政体確立した。 B弘治二年1556年平倉城落城後 武田氏直封の武将小谷七騎信玄の旨により祭事造営司る。後 松本藩主に属し領主代となとり国境鎮護の神して尊崇厚し。武居 祝になり1573から江戸期初にかけ下社経営安定策として全国に薙鎌販布するが、遅くとも此の頃か。 薙鎌打ちの直参、逗留と代参について 祝自ら参向の頃 白馬村切久保諏訪神社神主宅で一泊 この折薙鎌は神木御頭(弟)の木に奉安、翌朝出 昼食 土谷で 鎌は神聖な場所御頭岩に安置しておき決して宅内に持ち 込まない。大峰峠を越え中谷大宮諏訪神社に至る。神主宅に滞在晴を選び小谷郷七か村の神主全員、庄屋長逗留は頭役銭集めや各神社への薙鎌納めもあったようだ。 元禄ごろには名代参向。 代参もこられない時と思われる資料 二通控えらしきものあり。 口上 「一、諏訪武居祝為名代 当村神主先例之通信州越後境之宮内鎌二神納二罷越候 光翕相納可被申候 以上 中谷村 庄屋 太田土佐之丞 同 佐曽左衛門 天保七年(横川 戸土 中股 家内頭中」 1836 庄屋、組頭などが神主について国境の村に出向き、ものものしい口上を述べて薙鎌を納めた。 四、薙鎌の形 龍蛇形 鳥形 形の考察 信奉する神 出雲 竜蛇様(海蛇) 諏訪 ミシャクジ様 古代人は蛇はうろこを脱いで生まれ変わることから生命が再生するものと考え、蛇の冬籠もりを万物再生繁殖活動の準備期間と見て蛇に霊力を感じそれにあやかろうとし た。蛇は御名方神が守矢に祭らせたミシャグチ神または神の霊媒者であり、ミシャグチとは「御赤蛇」を意味。蛇形を御室に祭り同室することでその霊性にあや かろうとした。 蛇形から鳥形への考察 蛇形の細長い形から権威を出すためデホルメしていく内に大きく胴太になる。本来の蛇の形が忘れられた。 鳥形になるには精神的に納得いくものが必要。 古代人にとって鷹は霊界をつなぐ霊媒者 高い木に宿る神の化身といわれる。 鷹狩りは諏訪明神のお家芸 新羅の斎来王が鷹飼部族をつれて唐津の浜に渡り北朝鮮産の鷹を御名方神に献じ手法を伝えたという。 鷹狩りということ諏訪よりはじまるなり ー「西園寺相国秘伝抄」 鷹狩りは禁止されたが諏訪の贄鷹だけは鎌倉幕府から許された 薙鎌の意味 1神の化身 神の依代として神木に打ち付ける神を降ろす原始信仰による。 2 鎌には風鎮めの信仰 自然災害沈静化 鎌を竿の先に付けて風よけとする風習は信州各地にみられた。法隆寺の五重の塔のてっぺんに鎌、薙鎌を棟木に打ち付けてあるなど 風鎮めに関係ある。 能登の風鎮祭鎌打ち神事 鎌宮諏訪神社(石川県中能登町鹿西町)。日室諏訪神社(七尾市江泊町日室)神域諏訪山の依代としてのタブの神木に二丁の鎌を打ち込む 風鎮め大漁祈願 持統天皇五年八月の条 「八月辛酉使者を遣わして竜田の風神、信濃須波 水内等神を祭らしむ」(日本書紀) なぜ鎌が風鎮め中国の陰陽五行説が入りその影響 風は木気でこれを克するものは金となり、それぞれ代用で風を鎮めるには金物を用いる。 以上から薙ぎは凪ぎに通じ風鎮めの意味がある。 3 衆魔催伏の利剣(「諏訪大明神画詞」)諏訪神の神幣に鎌。御柱祭の上に薙鎌が立つ。「諏訪旧蹟志」 柄を付けて厄難を祓ったりする。 神社が姫川流域にも切久保諏訪神社七道の祭りなど二三社ある。 大宮諏訪神社では渡御行列の時神輿の警護に持つ。 4 開拓の神 その道具としての鎌 別名八千鉾の神と称される大国主命の子とされる点など優れた鉄器文化を持った神と考えられる点 以上の点からその象徴であ る鎌は開拓の道具であり優れた鉄器文化の象徴とも考えられる。 池田町 内鎌土地の命名 伏流水を鎮めるため 5 祭具として神威 清浄 決定 テリトリーを示す。 御柱見立ての時薙鎌を打ち込んで決定し神木となる。薙鎌打ち神事など。 6製鉄の守護神 武士の守護神 軍神 古代製鉄と薙鎌 諏訪大社は「諏訪南宮上下大明神」とも言う 南宮とは製鉄の神を祀る神社の意味 鉄の輪を持つ洩矢神と藤の枝で戦う建御名方神(諏訪明神) 伝承 諏訪にやってきた建御名方命が、地元神洩矢ノ神と闘う。洩矢ノ神は金輪で命は藤の枝で戦い、鉄輪が負けた。 鉄輪と藤枝の意味 諏訪明神の父 大国主は 大己貴命(おおなむち おおあなもち 偉大な鉄穴の貴人の意)また 八千矛神(たくさんの武器を持つ神)。出雲 といえば日本のたたら製鉄の筆頭の地域、高度な鉄器文化を持っていた。その御子の諏訪明神も当然その文化を受け継いで、高度な文化技術によって人心を集め 諏訪までやってきた。 鉄輪が負けたとは。鉄器文化の権威真弓常忠説は 砂鉄を採るには藤つるのざるが一番よい。藤枝というのは砂鉄採集の技術を暗示。この 技術を持った一族が沼沢、湿原で生成される褐鉄鋼のすずを採る原始的製鉄法を持つ一族に勝ったということ。戦いに勝った命は洩矢ノ神の力を借りつつ国を治め た。 洩れ矢の鉄(褐鉄鉱から)加工容易脆い「褐鉄鉱」(錫すず)高師小僧 水辺や湿地滞の葦などの植物の根の周囲に含水酸化鉄が沈殿してでき、その根が腐敗して消失 し、孔となって管状を呈したもので、時には植物の根が中心に残存し、振るとからから音が出るーー鈴のいわれ
まとめ 薙鎌および神事の意味 薙鎌の背後には鉄の歴史がある。鉄の御利益がいろいろな御神徳にを生んでいる。御柱の前年に薙鎌を国境の神木に打ち込み 国境を確認し 信濃の国のお祓い(風鎮め に代表されるように自然災害を封じ魔よけ )をし、その薙鎌に象徴される御神徳を確認し 諸難薙祓い無病息災国土平安、国土再生を祈る御柱につないでいく。 |